第1250回 食育に思うこと その2

昨晩はかなり強い雨が関東地方を襲ったようですが、山の水がめには水不足が叫ばれていたので、多少は恵みの雨となったのでしょうか。今日も1日暑さが戻るようですが、不安定な空模様の1日になりそうです。

さて、今日は昨日に続き食育に思うことの2回目です。

1、人は60兆人の子どもの親であるという自覚
人間は約60兆個もの細胞によってなりたっていますが、一口に60兆と言ってもなかなかイメージができませんが、自分は60兆人の子どもの親だと思えばもっとイメージがわくのではないでしょうか。子どもたちの1人1人が目、鼻、耳、心臓、肝臓、脳など生きるために不可欠な臓器や組織の構成員です。子どもたちがその働きを正しく担ってくれるためには、食事(栄養)が大事になりますが、躾(哲学とモラル)も不可決になります。子どもたちに十分な食事を与えられなかった場合には子どもの成長に影響が出てきます。親がしっかりと躾をせず、子どもが社会(体内環境)のルールを無視してやりたい放題をすればほかの子どもにも影響がではじめます。食事も躾も十分ではなく、栄養素失調や怠惰で不道徳な子供が一万人現れても親は全く気がつかないかもしれません。つまり自覚症状が出てくることはないでしょう。しかし、これが一億人、百億人に膨れ上がると親はもうパニック状態です。パニック状態に陥った親の多くが手に取るものは薬です。しかし、長い時間で培ってしまった子どもには決していいとは言えない生活や食事環境によって現れた症状に対して薬を使ったところで一時的に子どもの状態は改善される可能性はあっても、根本的な解決にはなりません。これが多くの日本人、特に食の哲学とモラルを十分に学んでいない子供たちや若い世代の体内で起きていることである可能性は否定できません。

2、食の哲学、モラルの伝承の終焉
世界的にも類まれな食材と季節感や食器で食を愛でる、日本古来の食事にかかわる食の哲学、モラルの伝承が終焉を迎えた背景には「バブル経済」の歴史が大きくかかわっていると私は考えています。今、小学生の子どもを持つ親の多くは30代半ばから後半にかけての世代で、 彼ら彼女らが多感な時期を迎えていた今から20年ほど前は、正に日本がバブル景気の真っただ中です。
飽食、軽薄短小、大消費時代などと言われたこの時代を過ごしてきた多感な彼ら彼女らの親は「合理的」「消耗品」の合言葉の基、それまで日本人が継承してきた世界的にも類まれな食材、調理方法、そして食事行動(食事の仕方)さえも消耗してきてしまったのではないでしょうか。それを何不思議なく刷り込まれてきた当時の彼ら彼女らが、今、子どもの親となっているわけです。

日本の食文化の変貌を語るときに、必ず登場するのが「食の欧米化」です。確かに日本の食文化は良くも悪くも終戦後に大きな変化を迎えました。しかし、私は日本の食文化、特に食の哲学、モラルの伝承が終焉を迎えたのは、バブルの風船が膨らみはじめた1980年前半年だと考えています。日本人の食の哲学とモラルは、「便利性」「合理化」「生活の質向上」とともに、確実に低下してきたと思います。もちろん、少子高齢化のスタートを切って以降、核家族化傾向により、日本人の食の哲学とモラルを伝承継承する先達が少なくなったことも背景にあるでしょうが、躾、教育だけにとどまらず、自分たちの健康も人任せの依存体質が強くなったのもこの時期からでしょう。
by nutmed | 2012-09-04 08:57